20.『ミッシング』 ("The Missing" 2003)
典型的なハリウッド流メロドラマとして、あらゆる意味で大成功した『ビューティフル・マインド』に続く作品として、ロン・ハワードはさらにもう一つの典型的なアメリカ映画のジャンルを選択する。西部劇だ。
広い意味での西部劇なら、すでに『遥かなる大地へ』に取り組んでいる。けれど、あれはむしろ西部劇の時代における、身分を超えたラブストーリーと言う方が近いだろう。そうではなく、ネイティブ・アメリカンと白人の確執を背景に、馬上の疾走とガンファイトをふんだんに盛り込み、広大な荒野を舞台としたオールドファッションな西部劇という意味では、いよいよこれが最初の取り組みである。
個人的には、現在のところこれが最愛のロン・ハワード作品だ。ここには、かつてのアメリカ映画にはたっぷりとあったに違いない、アメリカ西部の風景の痕跡がある。1966年生まれの筆者の世代では、リアルタイムで観ることがかなわなかった、フォードやホークス、アンソニー・マンらを経て、初期ペキンパーへと至る、アメリカの原風景を持つ映画。
この風景の中、インディアン[1]に娘をさらわれたヒロインが、その奪還のためにライフルを持って馬を駆る。助っ人として、戦いのための知恵を持つ父親が彼女を先導する。そして、さらわれた姉を案じる幼い妹がそれにつき従い、家族の生還のためには欠かせぬ役割を果たしていく。
過去の確執から、ヒロインとその父親の間には心の断絶があるが、ヒロインにとっては娘、父にとっては孫を救出する道程の中で、次第に和解の芽が育まれていく。そして来るべきクライマックスでは、険しい岩山における凄絶な決闘。
土埃に汚れた顔で、岩場からライフルを構えて敵を狙うヒロインの姿は、それだけで観る者に映画的な喜びを呼び覚ます。そして彼らは娘の救出を成し遂げ、無事生還できるのかという、サスペンスフルな興味。
こうした、この映画のルックとシノプシスには、かつてのアメリカ映画がおそらく持っていたに違いないと夢想するところの、映画的な魅力がごっそりつまっている。
もし、『ミッシング』の中にないものをあえて探せば、それはたとえば『リオ・ブラボー』(1959 ハワード・ホークス)にあるような歌と笑いなのだろうが、そこは作品の性質が要求する、ないものねだりとして不問とすべきだろう。
西部劇というジャンルを撮りにくくなった現代にあっては、それに取り組んだ現代作家はほとんどいない。スピルバーグはもちろん、マーチン・スコセッシやフランシス・コッポラ[2]、ブライアン・デ・パルマのような70年代以後の監督は、慎重にそれを避けていることは周知の通りだ。それをふまえてか、ロバート・ゼメキスは西部劇を撮る方便として、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』(1990)を製作するが、それはあくまでパロディだ。
ジム・ジャームッシュは『デッドマン』(1995)を撮り、呪術的なテーマを併せ持つことから、これは『ミッシング』との類縁性が高いとはいえ、『デッドマン』を旧来的な意味での西部劇とみなすことには、別の議論が必要だろう。
その意味では、『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(2003)のケヴィン・コスナーあたりだけが、孤独な努力を続けていると言えるのかもしれない。
いずれにせよ、もはや西部劇は金にならないことは常識である。西部劇ぎらいを広言してはばからぬ、製作のブライアン・グレイザーがどう言うか心配だったと語るロン・ハワードだが[3]、金勘定を避けられぬプロデューサーとしては、それも当然だろう。
けれど、筆者が主張し続けているように、「アメリカの物語」のバリエーションを積み上げつつあるロン・ハワードのファイルにおいて、西部劇はどこかでクリアする必要があるのは必然だ。そして、西部劇というリスキーな企画を通せるとしたら、アカデミー賞受賞によって、影響力が頂点に達した、今をおいて他にないだろう。こんなタイミングはそうめったにあるものではない。
振り返ってみると、第1章で述べたように、ロン・ハワードは『ラスト・シューティスト』(1976 ドン・シーゲル)で、西部の巨人ジョン・ウェインから、直々に銃の撃ち方を教わり、その最後をみとった、特権的な男なのである。
重ねて、『スパイクス・ギャング』(1974 リチャード・フライシャー)では、リー・マーヴィンと共に、ここでも最後の西部劇に立ち会っている。アメリカ映画の継承者たるロン・ハワードとしては、彼らの遺産を確かに受け継いだことの証明書が必要だろう。
『ミッシング』はさしずめ、今は亡きジョン・ウェインやドン・シーゲル、リー・マーヴィン、リチャード・フライシャー(フライシャーは『ミッシング』製作時点では存命中だが)への、ロン・ハワードからのお香典とも言うべき作品なのだ。
大枠のストーリーは、先に述べた通りである。
ヒロインのマギー(ケイト・ブランシェット)は、牧畜、農作業をしながら治療師としても腕をふるい、女手1つで娘2人を大平原で育てている。
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